もっと自由に行きたい。


二十世紀以降、古楽が復活したり、書かれた当時のままの音楽を極力再現するのが美徳であるような演奏解釈が流行して、今も続いている。

19世紀までは、というかロマン派までか。楽器の制約や、研究の不在もあったんだろうけど、わりと自由であったようだ。例えばバッハのシャコンヌにピアノ伴奏つけて演奏されたりすることも普通だったと言う。(個人的には止めてくれって感じだけど)


まあでも、別にあってもいいよな。別の解釈や別の演奏方法が。聞き方が。
出来る限り楽譜に忠実とかじゃなくても。(上手い人にやって欲しいけど、下手糞しか出来ない冒険みたいなのもあるかもしらん)
聞きかたがお作法にのっとってなくても。

別にどのように解釈されてもオリジナルの価値はいささかも減じることはない。
例え自分の文章がどのように誤読されたとしても、それが面白いものならば


まーでも自由である、どんな状態が自由であることを知るためだけでも努力がいるわけですが。