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http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2014/02/s-c3d0.html
を読んで、以下のような感想を持った。
純粋に音楽だけで売れたというマーラーやブラームスとかの時代(19世紀後半から20世紀初頭)のほうが変だった気がしてきた。宗教や行進や宴会や演劇や踊りとセットで売る方が、音楽のありかたとして普通なのかもしれない
交響曲が単品で売れた時代でも良く考えたら、ベルディやワーグナーやヨハンシュトラウスのほうが人気あった訳で。(モーツァルトベートーベンシューベルトブラームスドウ゛ォルザークマーラーショスタコと続く交響曲があまりにも眩しく見えるから忘れがちだけれども)
そういやショパンは金持ちサロンでサンドに飼われてたし、シューマンは音楽評論で食ってたし、マーラーも指揮で食ってたような気もする。
まあ食える食えないの話ではないのかな。結局新曲の音楽だけの演奏会で人が来るかという話だけど、昔でも良くわからん新人の音楽聞きにいく人間はそんなにいないだろう。ローマ大賞とかあって権威を保証してくれることもあったけど、今はないしな。(そういえば今なんでないのだろうか)
売れる売れないにかかわらずひたすら曲を書き続けることが認められる最低条件で、それが出来るためには金持ちじゃないと無理という身も蓋もない結論になりそうな。
音楽単体での「音楽のチカラ」なるものは多分存在しないんではないかと思う。